ヘルパーズ・ハイ ≪施設長 樋口≫
「ヘルパーズ・ハイ」という言葉を聞いたことがありますか?夜勤明けの介護ヘルパーのテンションの話ではありません。困っている人を助けたり、誰かの役に立って感謝されたときに感じる幸福感のことです。
このヘルパーズ・ハイは、他者を助けたり、人の役に立った際に、脳内ホルモンのドーパミンが分泌されることで引き起こされます。その結果、幸せな気持ちになるのです。さらに興味深いのは、このヘルパーズ・ハイが単なる一時的な幸福感にとどまらないという点。研究によれば、他者を助ける行動を定期的に行うことで、長期的に心の健康や幸福感が向上する傾向があるそうです。たとえば、ボランティア活動を続ける人々は、自己肯定感や人生の満足度が高いことが知られています。
ただし、これらの行為はお給料が発生しない「無償」のものである場合に、最も純粋な満足感が得られるとされています。なぜなら、親切に対して必ず対価が伴うと、それは徐々に「仕事」とみなされるていくからです。仕事として行った場合、対価が妥当かどうかを考えるうちに、本来の「助ける喜び」が薄れてしまうこともあります。
例えば、あなたが横断歩道を渡ろうとするおばあちゃんの荷物を持ってあげたとします。最初は感謝され、こちらも「これくらいのことなのに、喜んでもらえて嬉しい」と、ちょっとした達成感を味わいました。ところが翌日、そのおばあちゃんにこう頼まれたとします。
「私は毎日この時間に買い物に行くの。お小遣いをあげるから、毎日ここで私の荷物を持ってくれないかしら?」
一見すると悪い話ではないかもしれませんが、荷物を持つ対価が非常に少額だとしたらどうでしょう。
「こんな金額ならやりたくない」と、不満を感じ始めるかもしれません。報酬を得たはずなのに、本来の親切心が薄れ、負担に思えてしまうこともあり得るのです。
ここで考えたいのは、「無償の親切」と「義務的な仕事」の違いが生む感情の差です。自分の意志で行った親切には、感謝されることで得られる充足感が付随します。ですが、それが義務化されたり対価を求められるようになると、行動そのものの意味が変わり、ヘルパーズ・ハイも感じにくくなってしまうのです。
とはいえ、だから無償で我慢したほうがいいという話ではありません。心の余裕がない時には無理をする必要はなく、ちょっとした好意が喜ばれると知っているだけで十分です。他者を助ける行為がもたらす幸福感は、他人に強制されたものではなく、自分の選択によって生まれるものなのですから。
介護の仕事にやりがいや楽しさを見出している人は、人を助けたり、人の役に立った時の幸福感と、仕事の辛さ、対価を消化するバランスのいい人と言えるでしょう。
ヘルパーズ・ハイを知ると「なるほど確かに」と思いますが、よくよく考えると、とんでもなく素晴らしい仕組みだと思いませんか?
人を助けることで、助けた人も助けられた人も幸せな気持ちになる、つまり人は助け合うように導かれてるっていうなかなか神秘的なヘルパーズ・ハイのお話でした。