成長 ≪施設長 樋口≫
私はあまり車の運転が好きではなかったので、会社の大きな車を運転することを極力避けてきた。最近必要にかられて大きな社用車を運転するようになったが、もちろんできればやりたくないと思いながら運転をしていた。そうこうしていると、人は慣れるものである、大きな車を運転することがあまり苦ではなくなった。最初は嫌々に運転していた私を周りの職員が「大丈夫ですよ」と励まし、同乗していた職員からは「運転上手いじゃないですか」とも言われた。今思えば嫌がっていた私の気分をのせてなんとか運転をさせようとしていたのかもしれないが、まんまと私は「自分は運転が上手いのかも」なんて思うようになってしまった。
結局のところ自分にとっての難題は自分でしか解決できない。うちの主任も言っていたが「壁を乗り越えるのは自分。誰かに乗り越えさせても自分が克服したことにはならない」のだ。自分が苦手なことを誰かにやらせても自分は苦手なままで成長することはない。しかし乗り越えることができればその努力した姿勢はそのまま自分のアイデンティティにもなる。壁から逃げ、自己のアイデンティティの確立ができず、職場や学校などのコミュニティでの立ち位置が見つからないと、周りの悪い所ばかりを指摘したり、攻撃したりし始める人が出てくる。人の評価を下げることによって自分がその人より優位であると思い込んでしまうのだ。これを「仮想的有能感」といい、多くの職場で目にすることがある。人のミスを指摘することで「ミスの指摘をしている自分はこの人より優れている」と思い込んだり、人の悪口を言いふらしその人を貶めたり、人を見下すような態度をとっている人である。私の経験上こういう人たちは自分が苦手な分野に手を出すことはないので、自分で苦手なもの「壁」を越えることをなかなかしない。仮想的有能感により満足をしていると自分が成長しなくても周りを下げるだけで優越感を得ることができるので「努力」や「自らの変化」などする必要がないのだ。
話を戻すと、私は「大きい車の運転」という壁を乗り越えた。(他の職員からすれば小っちゃい壁なんだろうけど)
私は成長のキーワードとして「非日常」と「努力の末の成功体験」が重要だと思っている。日々の仕事はもちろん力になるが自らの成長を強く実感できるのは非日常である。毎日の業務から離れ、知らない土地での研修などがいい例である。人によっては海外旅行で日本と違う自然や風景、異文化などに触れ、成長や自分の変化を感じる人もいる。成功体験も「たまたまうまくいった」のではなく、努力をし思い描いていた目標を達成した成功体験が重要となる。これらは子育てにも通じるものがある。スケールは小っちゃいが前述した私の車の運転も当てはまると言っていいだろう(得意気)。苦手だと避けてきたことを「運転できるようになる」という目標へ向かって何度かトライし克服し、今では苦ではない。むしろ「運転が上手いんじゃないか」とまで思っている。私は「大きい車を運転する」という非日常を何とかこなし、「運転ができるようになった」という努力した末の成功体験を得た。大きな成長だろう。長々書きすぎたので、3行でまとめる。
施設長
大きい車の運転に慣れた
嬉しい
つまりそういう事( *´艸`)