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認知症になっても人は変わらんよ ≪施設長 樋口≫

認知症になると人格が壊れたり、行動や発言から「その人」じゃなくなったかのように感じることがあります。ただ、アルツハイマー型認知症でも人格の変容を引き起こす前頭葉の委縮は初期の頃にはあまり見られません。ではなぜ人格が壊れたり、「その人」じゃなくなったかのように感じてしまうのでしょうか。

私の家の近所に、軽度の認知症のお爺さんがいました。ある日その人が、夜中にいなくなってしまい、湯河原から離れた熱海市内で発見されました。歩いて熱海まで行ったようでした。距離にして7~8㎞を夜中に歩いていったのです。へとへとで、壁に手をつきながら行ったのか、途中で転んだのか、手や服は汚れていたそうです。そのお爺さん曰く「定期受診の日だと思い、病院に行こうと思った」とのこと。

普通に考えたらおかしな行動です。病院がやっていない夜中に起きて、歩いていける距離じゃない場所を目指し、一人でいなくなってしまうのですから。家族だったら「おかしくなっちゃった」と感じるのも無理はありませんが、この行動を整理してみましょう。

お爺さんは認知症です。

夜中に出て行ってしまった。←見当識障害で時間の感覚が障害されている

定期受診だから病院に行こう←何もおかしくありません

バスが来ないから歩いていくか←何もおかしくありません

家族に迷惑をかけないように一人でいった←何もおかしくありません

遠い病院に歩いていく←見当識障害で距離や場所の感覚が障害されている

 

以上のようにこのお爺さんは認知症の症状はありますが、人格は何も壊れてなんかいません。「その人」は何も変わっていません。

でも認知症により、ちょっと感覚がズレてしまっているだけです。

誰でも足を怪我したら引きずるし、走れなくなります。でも人格は変わりません。

腰を痛めたら姿勢が悪くなります。でも人格は変わりません。

記憶障害がおきたら物事を覚えられなくなります。でも人格は変わりません。

見当識障害がおきたら時間、場所、ヒトの感覚が障害されます。でも人格は変わりません。

認知症になっても「その人」や「らしさ」はかなり後期まで保たれます。人によっては最期まで失われません。

記憶障害や見当識障害をはじめとする認知症の中核症状は、その人の世界と実際の世界にギャップを生みます。施設に入所したのに「子供が帰ってくるから帰ります」と言ったり、トイレじゃないところで排せつしてしまったり、他人の部屋や隣家に入ってしまったり。

認知症の人は、認知症なんだけれど一生懸命自分で、自分の世界の中で、何とかしようともがいて、でももがいた結果がちょっと僕らからみるとズレているだけなんです。

何回か書いてるけど、認知症対応はその人の世界に入ること。

もっとその人の世界に入ってあげれば、障害の向こう側には足腰は弱くなったけど、元気だった時と変わらないままのお爺さんやお婆さんがいるんです。