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認知症の人を一人の人として見る  ≪施設長 樋口≫

前回、認知症対応のミソは相手が認知症であると言うことをしっかり懐に落とさないといけないといいました。今回書くことはちょっと矛盾する部分もありますが「認知症の人を一人の人として見る」です。

例えば認知症の方は夕方太陽が傾いてくると、自分の家にいるのに「家に帰ります」と言ったり、子供はもう60歳で高齢なのに「子供が学校から帰ってくるから」と落ち着かなくなったりすることがあります。認知症の中核症状である見当識障害(時間、場所、人物の認識がおかされる障害)により、今いる場所や自分の年齢、子供の年齢(時の流れ)がわからなくなり、混乱している状態なのです。認知症の中核症状で言えばそうなのかも知れませんが、みなさんの(特に女性の)夕方の過ごし方を少し考えてみましょう。昔は共働き世帯は多くありませんでした。旦那さんが帰ってくる前に買い物や晩御飯の用意をしなければなりません。子供が学校から帰ってくる前に家にいてあげないと子供が家に入れないかもしれません。共働き世帯だったらもっと忙しかったでしょう。一家の主である男性の威厳も想像に難くありません。「夕方落ち着かなくなる」なんて当たり前の事なんです。実際忙しかったんですから。
もし家で介護していて、自宅にいるのに「家に帰ります」「子供が帰ってくる」と言われたら、時間が許す限りでいいです。「じゃあ送りますよ」と一緒に家の外に出てください。昔、この辺りはどんな景色だったのか、自分はどんな子供だったのか、お父さんは怖かったのか、昔の話をたくさんして下さい。認知症になっても多くの方は昔の事を覚えています。きっと会話が続くはずです。5分でも10分でも歩いて「そろそろ家に帰りましょうか」と声をかければきっと自宅まで一緒に戻ってくれます。認知症だからと、すぐ忘れるからと、ぞんざいに扱ったり、イライラするより、その人がどんな人生を歩んできたのかを知ってみてください。認知症の人を一人の人として、どんな人生を過ごしてきたのかを知れば、とるべき対応が見えてきます。

前回と続けて書いてきましたが、認知症の人を「しっかりしてよ」「思い出してよ」と時に健常者として扱い、時に「認知症だから」「ボケてるから」とぞんざいに扱ったりする対応は施設、在宅問わずいろんなシーンで見かけます。この一見ただの雑な対応が内包している二面性(時に健常者として扱い、時に認知症の人として扱う)は認知症の人を不必要に混乱させるだけでなく介護している人自身をイライラさせます。
認知症対応はまず目の前の人が「認知症なんだ」ということをしっかり懐に落とす、その上でその人がどういう人生を歩んできたのか、一人の人として見る。基本っちゃ基本なんですが、一応書いておきました。