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隣の芝生は青く見える ≪施設長 樋口≫

先日認知症サポーター養成講座で講師をやった際、1時間しゃべり続けて、ずっとスベり続けた樋口です。心に深い傷を負いました。

「隣の芝生は青く見える」、他人の物を実際よりも過大に評価してしまうことを表すときに使われることわざです。誰もが感じたことがあるでしょう。

「ママ友の家はうちより幸せそうだなぁ」

「あの会社はうちより待遇が良さそうだなぁ」

「自分の彼氏(彼女)よりあの人の方がいいなぁ」など。

そう思わせてしまう原因は大きく2つあります。一つは「自己評価が低い」もう一つは「距離」です。

他人と自分を比べて「私なんて…」と思ってしまう人、一番手っ取り早く自己肯定感を高める方法は自分より下の人、「隣のきったねぇ芝生」を探すことです。「あの人よりマシ」「自分の方が幸せ」、ってやつです。

でも実は、なんの解決にもなっていません。

かの有名な「幸せの国ブータン」は国民の多くが「家があり、食べるものがあり、家族がいれば幸福だ」と考えていました。しかし、インターネットが普及し他国の生活がわかってくると、現在はランク外にまで幸福度が低下しています。

人と比べるという行為は自分を不幸にする行為です。「隣の芝生が青く見える」のは「自分の芝生」と比べている証拠。

そしてその間違いを引き起こしているのが「距離」です。

夜空の星はキラキラ輝いて見えます。近づくと石、岩、ガスです。

千歳川のホタルもキレイに光っています。手に取ると黒い昆虫です。

キレイな一部をキレイに見える距離で見て、見えていない部分を無視している状態、正しい判断ができていない状態が「隣の芝生は青く見える」です。

繰り返しになりますが、人と自分を比べる行為は自分を不幸にする行為です。SNSで他人の煌びやかな生活を見たって自分は幸せになりません。自分より不幸な人を見たって自分の生活は豊かになりません。そして離れてるものや他人の物は大体なんでもキレイに見えるんです。

隣の芝生が青く見える人の共通点は「自分の芝生を育てることを忘れてる」ってとこ。

他人の芝生眺めている時間があったら自分の芝生を育てた方が確実に幸せになります。

そもそも隣の芝生だって何にもしないで青くなったわけじゃないし。

手放した自分の芝生、本当は隣の芝生より青く見えるかもよ?