世の介護職に足りないもの ≪施設長 樋口≫
先に言っておきます、「倫理観」とか、「福祉の心」とかそういう話ではないです。
もう少し、仕事としての、ビジネスとしての介護の話です。
実は、介護って仕事は「誰でもできる」んです。
「『誰にでもできる』なんてとんでもない!介護職への冒涜だ!」
と言われたとしても、実際そうなんです。
これはシーサイド湯河原に勤めていた時のブログでも書きましたが、
勤め先が変わったんでここでも書いておきますね(笑)
介護は料理と似ています。
例えば私がフライパンで肉を焼いてもステーキなんです。
シェフがいい鉄板で、材料、火加減、技術にこだわって肉を焼いてもステーキなんです。
私が焼いた出汁巻き卵ではお金は取れません。
板前さんが作った出汁巻き卵はいい金額で売れるでしょう。
これは「技術があるから」だけではないんです。
ファミレスのアルバイト店員が作った料理は美味しく、お金を払う価値があります。
でもそれはアルバイトの高校生に技術があるからではなく、「レシピ」があるからです。
誰が作っても美味しくできる、何度も同じクオリティが出せる再現性を担保したレシピがあるから、
修行した料理人でもないアルバイト店員がお金をもらえる料理を提供できるんです。
レシピがあると言うのは、自分たちの仕事を文章に出来ているということ。
先のシェフも板前さんも自分の中にレシピがあり、言葉にできるから
同じメニューを同じクオリティで提供でき、毎日お客さんが来るんです。
自分の仕事を言葉にする、説明が出来る。これが世の介護職にもっとも足りない部分です。
とても惜しいですよね、介護職はすごいことをやっているんです。
認知症の人に一晩中付き合ったり、全く立てない人をトイレに連れて行ったり、
もっと言えば「認知症の人が怒った時の鎮め方」や「お風呂に入りたがらない人を入浴させる」
そんなことまで現場の職員はわかっていて、日々行っているんですね。
でもそれを言葉にできない。
だからいつまでたっても新人の教育が出来ず、「現場で覚えろ」になってしまう。
だからいつまでたっても「誰でも出来る仕事」って言われてしまう。(私が言ってるんだけど)
世の介護職の人たちは今でも十分凄い仕事をしているのだから、
それを根拠をもって説明できるようにならなければいけません。
むしろそうならなければいつまでたっても人材不足の底辺職と言われたままでしょう。
なぜ認知症の人にその声掛けなのか、なぜその移乗介助の方法なのか、なぜその歩行介助なのか、
なんとなく作る素人料理ではなく、プロの説明が出来る料理(介護)をしなければいけません。
繰り返しになりますが、介護は誰でも出来るんです。
子が親の介護するときに資格も講習もいりません。
家族介護ではない、プロの介護の仕事を言葉にできた時
介護職は専門職として認められるのです。