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スポーツ選手を叩く前に考える事 ≪施設長 樋口≫

サッカーワールドカップ北中米大会、盛り上がってますね。

日本代表は惜しくもブラジルに敗退しましたが、まだ決勝トーナメントは始まったばかり、

4年に1度、サッカーのトップレベルの試合が毎日見られる素晴らしい期間です。

私も若かりし頃、サッカー部で右SBを定位置に汗を流したものです。

サイドバックじゃなく右サイドベンチです。いわゆる世間一般でいう補欠です。

そんな人間でも、今は毎週フットサルをやりながら、ワールドカップを夢中で観ています。

さて、そのワールドカップですが国の威信をかけ、というより国民の人生まで背負わされている選手たち、良い結果が出せればいいのですが、過去にはミスやいい結果にならなかった時、誹謗中傷されたり、最悪の事態が起きたこともありました。

最も最悪なのが1994年のアメリカ大会。

コロンビア代表のアンドレス・エスコバル選手は、オウンゴールをきっかけに暴漢に命を奪われました。

たった一つのプレーで、人生を否定されたのです。

今も、結果が出なければ叩かれる。致命的なミスを犯せば人間性すら否定される。

今大会も予選を敗退したチームの監督や選手に「無能」という言葉が向けられました。

お隣の韓国ではわざわざ大統領がSNSで自国の監督を「無能」と罵りました。

でも、その監督や選手の人生の何%を、私たちは知っているんでしょうか。

見えているのは、ほんの一瞬だけです。

その一瞬に勝手に自分の人生や期待を投影して思い通りの結果じゃないと怒りだす。

他人を見下しても、自分が大きくなるわけではない。

誰かを知ったかぶりで評価した瞬間、思考は止まる。

「あいつは使えない」「あいつは無能」

そうレッテルを貼り思考を止め切り捨ててしまう。

「無能」という言葉を誰かに向けるのはこれ以上ない知ったかぶり。

他責思考の人間を仮想的有能観にどっぷり浸らせてくれる自己満足の言葉。

スポーツで熱くなるのは楽しい、本気で応援するのも楽しい。

子どもの頃、アスリートに向けられた眼は憧れのまなざしだったはず。

その未来が、人を否定する人生、人を見下す大人、なんてつまんないでしょ。

だからせめて、国を背負って戦っている人たちに、リスペクトを。